80点の彼女

久しぶりの再会、初めてのふたり旅への期待――楽しい夜になるはずだった。そんなリサの前に現れたのは、ラハの元恋人を名乗る美しい女性だった。動揺する彼の姿と、自分とはまるで違う彼女の存在に、胸の奥に沈んでいた劣等感が疼き出す。私は80点、彼女は100点。そんな痛みが暴走し、信じたいはずの想いまで揺らいでしまう。けれど、傷つき、すれ違い、それでも向き合おうとする先で、ラハが差し伸べるのはただひとつのまっすぐな答え。恋の不安も弱さも抱えたまま、それでも愛されることを知る、少し切なくて甘い物語。

プロローグ

最寄りのエーテライトに降り立つと、シャーレアンの夜景が視界に広がる。
1週間ぶりだ。
ずっとラハに会えていなかった。
早く会いたくて、足早にラストスタンドを目指す。
混んだ店内に足を踏み入れると探す間もなくラハの声がする。
「リサ。こっちだ」海側の席で片手を上げている彼は嬉しそうだ。
「ごめん。待った?」私は彼の向かい側の席に滑り込む。
「いや、オレも今、来たところだ」
ラハはそう言って、私がメニューを見るのも待たずに話を切り出す。
「それで、どうだった?見てきたのか?」
イシュガルドの家のことだ。
「うん、すごくいい感じだったよ。買うことにしようかな」
そうだ!いっそのこと……
「あのさ、ラハも一度見に行かない?ほらラハ、イシュガルドに行きたいって前から言ってたでしょ?観光して、そのついでに見に行くのはどう?」
ラハは目を輝かせて「いいな、それ。次にまとまった時間が取れたら行こうか?」
「うん、そうしよう。楽しみだな」
私は心が弾んで笑顔がこぼれる。
初めて2人きりでの旅−−なんだかドキドキするな。
何か飲み物でも頼もうとなり、メニューを手に取る。
すると聞き慣れない女性の声が間近でする。

「ラハ!ラハよね?今までどこで、どうしてたの?」 声のする方を見てあっけに取られた。
ラハに話しかけている若い女性は白いワンピースを身に纏い、そこからほっそりした手足が伸びている。
手入れの行き届いた髪が肩のあたりで揺れて、思わず見とれてしまう。
白く透明な肌は艶やかで、形のいい涼しげなその目はラハだけを見ている。
私はラハの知り合いかと思って彼の方を見て驚いた。
さっきまでの笑顔は完全に消えて、まるで動揺しているように見える。 彼女はラハとは対照的に無邪気とも言える明るさで「まさか会えるなんて。仕事で久しぶりにシャーレアンに来たら、こんな驚きが待っているなんてね」
ラハは目だけは彼女を見ているが言葉が出てこないようだ。
「ラハ、どうして何も言わないの?まさか私を忘れたわけじゃないわよね?」
彼女はラハの顔を覗き込むと驚いて「その目はどうしたの?左目、色が変わってるけど?」
ラハは絞りだすように「カノン、久しぶり。この目はちょっと事情があって」と言ったきり、また考え込むような顔になった。
彼女はそんなラハの様子も気にならない様子だ。
「私ね、少し前にイディルシャイアの研究所に移ったの。 でも、しばらくはこっちの研究所に滞在するつもり。ラハ、その間に時間作ってよ。いろいろ話したいじゃない?じゃあ、連絡待ってるから」
彼女は一方的にそう言い残し、同僚が待ってるからと離れて行った。
彼女が動き出すと、近くの席にいる男性の目線が吸い寄せられるように彼女を追った。

カノン−−それが彼女の名前らしい。
「ラハ」
彼女は親しげにそう言ってた。
彼と同じミコッテ族だから親類か何かじゃ?
そうだったらいいのに。
でも、彼のらしくない態度や彼女の様子を見る限り、そうではなさそうだ。
聞きたくない……けど聞くしかない。
私は思い切ってラハに言う。
「彼女は誰?知り合い?」
彼は我に返って私を見ると、少し言いにくそうに言う。
「……昔、付き合ってた子なんだ」
やっぱり……ため息が出た。
先ほどの彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
彼女が立っていた空間だけまるで別世界だったな……私は思わず、日焼けして筋肉のついた自分の腕に目を落とす。
−−比べるべくもない。

1

ラハの言葉を最後に私たちの間に重い沈黙が落ちた。
彼はうつむいてストローで氷をつついてる。
私も、彼に今まで恋人がいなかったなんて思ってた訳じゃない。
でも現実に「彼女」を目の当たりにしてみたら、想像よりショックは大きい。
それに彼女のはしゃいだ振る舞いを見るに、ただの「過去」だとは思えない。
ラハの対応も何だか彼らしくない。
元カノに会ったからといって、あんなに動揺するものだろうか?
よほど後味の悪い別れ方でもしないと−−そこまで考えた時、ある可能性が胸をよぎった。

「ラハ。彼女とはいつ知り合ったの?」
彼はようやく私と目を合わせたが表情は沈んだままだ。
「ノアの活動でモードゥナに来る少し前だ。彼女の働いてる研究所が、委員会と研究の協力関係があって、それで知り合ったんだ」
「それで目のこと言ってたんだね。確かにウネとドーガに血をもらうまで左目は緑だったもんね」
ようやくラハは重い口を開いて話す決意をしたようだ。
「それで、彼女からアプローチを受けて付き合うことにしたんだ。正直、彼女に対して特別な感情があったわけじゃない。だけどその時のオレは「まあいいかな」っていう軽い気持ちで決めたんだ」
彼の声が少し、かすれて聞こえる。
ちょっと聞くのが怖い、でも聞かなきゃ何もわからない。
仕方がない……
「『まあ、いいかな』って?」
彼は目を伏せて「その……彼女、可愛かっただろ?
オレ、魅力的な女の子に言い寄られて舞い上がっていたんだと思う。
だから流されてしまったんだ、それが正しいかなんて考えもしないで」
可愛い−−脳裏に焼き付いてしまった彼女の姿が、浮かびあがる。
白いドレスの完璧なお姫さま……自分が勝てない相手。
この感覚に覚えがある。

***

−−あれはまだ十二、三歳の頃だった。
幼馴染のカイルがいた。
それと白いドレスのお姫さまも。
「あっ!くそー やられた!リサ強すぎ!」
私は笑って「カイルがサボるからでしょ?将来、かっこいい冒険者になりたいって言う割に剣の練習サボってばかりじゃない」
その時、すぐ近くをシルフィーが通りかかった。
「おっと、シルフィーだ。1人でどこに行くのかな?頼もしいナイト様がここにいるってアピールしてこよう」
「やめときなさいよ、迷惑でしょ」私はちょっと不機嫌になって言った。
そんな私の気も知らず、カイルは「シルフィー可愛いよな。さっきの服みたか?あの白いワンピース。なんかお姫さまみたいじゃね?可愛い女の子には、俺みたいな護衛が必要だよなー」
私は何だか悔しくて「私も女の子なんだけどな」と言ってみた。
その時のカイルの言葉、今も忘れられない。 「リサ?んー悪くないけど、なんか違うんだよなー守ってあげたいって感じしないしな。だいたい俺より強いしさ。シルフィーが100点の可愛さならリサはさあ、80点って感じ」
−−私は80点。守ってあげたくなるような可愛い女の子じゃない。
その言葉は棘のように今も胸の奥に刺さったままだ。

***

我に帰るとラハが心配そうに私を見ていた。
私が彼の話にショックを受けて黙り込んだと思っているのだろう、それは半分だけ当たってる。
「リサ、大丈夫か?ここからが大事な話になるんだけど聞いてくれるか?」
……今は話に集中しなきゃ「うん、どうぞ続けて」
「オレがモードゥナに来てからのことはリサも知ってると思う。彼女とはそれからも時々は連絡をとっていたんだ。だけど眠りにつく前に彼女のことをそのままにしてしまった。だから彼女にとって、オレは突然いなくなったように見えただろう」
ラハは苦渋に満ちた表情で続ける。
「情けない話だが、あの時は世界の行く末しか見えていなかった」
彼は小さく息を吐いた。
「自分が誰かの人生の一部だってことを忘れてしまっていた。これは完全にオレのミスだ」
そう言い切ることで逆に気持ちが落ち着いたらしい。
次の言葉を口にした時にはいつものラハに戻っていた。
「彼女には本当に申し訳ないことをした。この世界ではもう2年くらい経ってるだろ?だからちゃんと区切りをつけないといけない」

彼女に会った時あんなに動揺してたのはそういう訳だったのか。
ラハは私の顔色を窺うように「リサ、余計な心配かけてごめん。でもちゃんとけじめをつけた方がオレたちのためにもいいと思うんだ。だから近いうちに、リサのことや今までの事情を含めて彼女と話をするよ。もし彼女の気持ちが前のままだとしても戻るつもりはない」
ラハはキッパリと言う。
一時は動揺を見せたものの、すぐに誠実に向き合おうとするのは彼らしい。
彼の言葉は信頼できる、だから心配はいらないはず。
それなのに−−自分が勝てない相手、その概念が頭の中でこだまのように去来する。


2

今朝、採集したばかりの北方の野菜を納品し終えた。
「お疲れさん!いやぁ、リサさんはそこらのグリーナーより頼もしいよ。仕事が早くて品を見る目もある。また、頼むよ」
担当者とはすっかり顔なじみになった。
こちらも笑顔で、じゃあまた、と手を上げた。
早くシャワーを浴びて着替えたいな。
一度、分館に戻ろう。
踵を返すと、その視線の先に彼女−−カノンさんが立ってこちらを見ている。
なんだろう?根拠のない不安が湧き上がる。
やり過ごしたほうがよさそうだ。
それなのに、彼女はこちらに近づいてくる。

「こんにちは」知り合いに声をかけるような気軽さだ。
「……こんにちは」戸惑いながら挨拶を返す。前は私の存在を完全に無視していたのに何故?
彼女はニコニコと「あなたの顔、以前どこかで見たことがあると思ってたの。あの有名な世界を救った英雄さんだったのね」
彼女は私を上から下までチラリと眺めながら「でも、意外と普通っぽくて、ちょっとびっくり。もっと華やかな感じの人かと思ってたから」
私は思わず腕を組んで、泥だらけの袖口を隠した。
彼女は私とは違って、今日もおしゃれにきめている。
確かに今、彼女の前に立つ私は薄汚れた格好の冒険者だ。返す言葉はない。
「えーっと、リサさんだったわね。それであなたは今ラハと付き合ってる、そういうことでいいのかしら?」
彼女は私の目をじっと見据える。
「ええ、まあ」まるで尋問みたいだ。
「私も彼と付き合ってたのよ。もう2年くらい前かしら。でもある日を境に突然連絡が途絶えてね」
彼女は遠い目でそう言うと、私に視線を戻す。
「でも、ずっと待っていたの。それで偶然再会したら、あなたがいた」
言葉の内容とは裏腹に淡々とした口調だ。
表情はいたって穏やかだが、目は笑っていない。
底がしれなくて、どうにも居心地が悪い。
私はどう対応すべきかわからず、彼女が語るにまかせていた。
「彼ね、あれからすぐ研究所に会いにきてくれたのよ。それで今度2人でゆっくり話そうってことになったの」
そして、無邪気な笑顔で付け加える。
「ほら、積もる話もいろいろあるでしょ?」
私は少し驚く。
−−ラハ、もう会いに行ったんだ。
聞いてない。
彼女は私の動揺に気づいただろうか?
いずれにせよ、主導権は変わらず彼女のものだ。
彼女は最後まで視線を外さず。
「過去を取り戻せるかはわからない、でも彼に思いを伝える権利はある。そう思わない?それをあなたに知ってもらいたくて、声をかけたの」
そう告げると彼女は去って行った。

私はその場から動くことができなかった。
これは宣戦布告というより「あなたなんか相手にならない」と言われたみたいだ。
ラハはその気がないとはっきり言っていた。
なのに彼女とラハが2人、昔話で盛り上がっている姿が頭に浮かぶ。
楽しそうに笑い合う2人……あの優しい目で彼女を見つめる彼。
−−期待してもいいと思える「何か」が彼女にあるのかも。

***

カノンは研究所へ向かう途中、足を止めて振り返る。
さっきまでの笑顔は完全に消えていた。
立ち尽くすリサが視界の端に映る。
−−あんな地味な子のために私が捨てられた? 思わずかぶりを振った。

***

部屋に戻ってきたのに、心はまったく落ち着かなかった。
さっきの会話が胸をざわつかせて、何も手につかない。
気づけば部屋の真ん中で立ち尽くしていた。
このままじゃいけない。
そう思った瞬間には、もう足が動いていた。
採集帰りの服のまま、私はラハの部屋に向かった。


3

部屋の時計を見ると夜まで少し時間がある。
今、仕事から戻ってきたばかりだ。
今夜はカノンのこと、リサに話さないとな。
……気が重いが先延ばしにはできない。
この間は、リサの様子が変だったな。
いつも冷静な彼女が、動揺を隠しきれていなかった。
早く決着をつけて安心させてやりたい。

今日、カノンと明日会う約束をした。
第一世界のことは話せないが、できる限り誠実に向き合おう。
そうすれば聡明な彼女のことだ、必ず理解してくれるはずだ。
これはリサのためだけじゃない、オレたち2人の未来のためだ。

ドアが軽くノックされる音がしてリサが入ってくる。いつもより随分早いな。
今日は朝から採集に行くと言っていたが、着替えず直接きたのか。
「リサ、もう仕事終わったのか?飯まだだろ?ラストスタンドに行くか、それとも何か買ってこようか?」
オレが最後まで言い終わるのを待たず、彼女はいきなり切り出す。
「ラハ、もう彼女に会いに行ったんだね」
一瞬ドキリとしたが、オレは言葉を選びながら答えた。
「ああ、早いほうがいいと思って、約束しに行ったんだ」
彼女はオレの返事が聞こえていないのか「どうして、わざわざ行ったの?」
どうしたんだろう?
張り詰めた声、それに目がうつろでどこかを彷徨っているようだ。
「リサ、怒ってるのか?」
リサはやっとオレの目を見た。
「怒ってるわけじゃない」
言葉とは裏腹に声は硬いままだ。
「カノンと会ったんだな。何かあったのか?」
リサの表情を少し歪めて言う。
「彼女ね、今度ラハと会うって、まるでデートの約束みたいに嬉しそうに言ってた」
オレは驚いて即座に否定する。
「デートなんかじゃない。彼女がどういうつもりだろうと。それはリサもわかってくれてると思ってた」
「ラハが優しくしすぎたんでしょ?だから彼女期待してるんだよ」
リサは怒ってないと言いながら、声には責める色があった。
こんなリサは見たことがない。
どうしたものか……とにかく落ち着いてもらうのが先だ。
オレが考え込んでいる間、リサはだんだん止まらなくなってきたのか「だいたい、今日行った時に事情を話せば、それで終わったんじゃない?わざわざ2人きりになる必要ある?」
リサはオレがそれを望んでると思ってるのか。
「大事な話なんだ。彼女を巻き込んでしまった以上、それなりの筋は通さないと」
「私より、彼女が大事なんだ!」リサは叫ぶように言うと両手で顔を覆った。

……どんな理屈も今の彼女には通じない。
そう悟ったオレはリサに近づくとそっと彼女を抱き寄せた。
「リサ、今は冷静になれないみたいだけど、ゆっくり考えればわかるだろ?これはオレたち2人にとって必要なんだって」
オレは彼女の震える肩をしっかりと包みこむ。

リサは一瞬身を固くしたが、思い直したようにオレの首に腕を回す。
彼女は顔を上げてオレを見た。
いつも見せるような、はにかむような笑顔じゃない。
縋り付くような目。
その目がオレに何かを訴えてる。
そう思ったその時、彼女が「信じさせて……」つぶやくように言う。
オレが「えっ?」と思った刹那、彼女に唇を塞がれた。

情熱的と言うより、まるで何かを奪おうとするようなキス。
思わず彼女の熱に押し流されそうになる。
そして、彼女は自ら上着の胸元のボタンを外していく。 その仕草はまるで焦燥感に駆り立てられたように荒々しい。
オレは彼女の意図に気づいて我に返った。
「待て、リサ」
まるでオレの声が聞こえていないかのように、彼女は止まらない。
オレは彼女の露わになった柔らかそうな肌から目を逸らし、ほとんど叫んでいた。
「リサッ!」
彼女の手から上着が音もなく滑り落ちた。

「どうして……」彼女の目から大粒の涙が溢れる。
彼女はそのまま、その場にしゃがみこんだ。
オレは急いで手近にあった毛布でリサの体を包み込んだ。
「リサ、オレは拒んだつもりはない。だけど、こんなのらしくないだろ?オレも苦しいんだよ」
−−まいった。だが弱っている彼女に付け込むようなことはしたくない。
「じゃあ、何故?」
「オレはリサが自分で決める「その時」を大事にしたかったんだ。でも「これ」は違うだろ?」
彼女はまだ無言で泣き続けてる、無理もない。

彼女がどうして急に、こうなったのかオレには見当もつかない。
だけど、さっきのきつい言葉もこの暴走も、本当に言いたいことでも望んだことでもないはずだ。
オレはそれを見つけたいーー必死に頭を巡らせる。

「なあ、リサ、オレのことが信じられない。そういうことなのか?」
リサは小さいがしっかりした声で言う「そうじゃない。だけど……」
「だけど?」
リサの一旦止んだ涙がまた溢れだす。
「私、彼女みたいに可愛くないし」
彼女がうつむくと床に涙が落ちた。
オレは驚いて言った。
「まさか!そんなことオレは一度も思ったことない」
すると、リサはまた感情がたかぶってきたのか「ラハも言ってたじゃない!彼女が可愛いから付き合ったって。もし私が英雄じゃなくて、普通の女の子として出会ってたら、ラハは見向きもしてくれなかったんじゃない?」

オレは驚きで、すぐには言葉がでなかった。
オレは彼女のことを完璧だと思っているのに。
なぜ、そんな自分を傷つけることを言うのかわからなかった。
「リサ、そんな「もしも」の話に意味はない。そうだろう?」
リサは勢いよく立ち上がると、この嵐が始まった時と同じ激しさで言い放つ。
「意味ならあるよ。どうせ私は80点、彼女は100点なんでしょ!行けばいいじゃない、そんなに彼女にいい顔したいなら。もう止めないから!」
そう言い残し彼女は部屋を飛び出した。
オレは何も言えず、出ていく彼女を止められなかった。

***

ラハの部屋を出てから、どう歩いてきたんだろう?
気がついたら自室のドアが目の前にあった。
中に入り、ドアにもたれて大きく息を吐く。

.鏡に目を向けると散々泣いて酷い顔になった自分が映っている。 みっともない……

さっきのことをぼんやりと思い出す。
ラハの優しい声、困ったような顔。
……言ってはいけないことをたくさん言った。
なんで、あんな言い方をしたのか。
自分でもよくわからない。
80点の私−−また胸がざわついて苦しくなる。


4

一夜明けた昼下がり、オレはラストスタンドの片隅でカノンと向かい合っている。
昨夜のリサの言葉が頭を離れない。
私は80点−−彼女は100点。
その点数の意味はわからない。
ただ、リサが何かに傷ついていることだけは確かだ。
気がかりだが、今はカノンと向き合うのが先だ。

コーヒーが運ばれてきた。
ウェイターが去るのを待ってオレは口火を切った。
「今まで連絡しないで悪かった。もし、ずっと待ってくれていたのなら本当に辛い思いをさせたと思う。言い訳できる立場にないのはわかってる。だから、ただ謝らせてくれ」
「あなたがモードゥナで大きな仕事があるから、しばらく戻れない。そう言って別れたきり2年よ」
カノンはため息をつく。
「こんなことになるとは思いもしなかった。 私は困った挙句、委員会の人に消息を尋ねたりもしたの。 でも要領を得ない答えしか返ってこないし、本当に心配したのよ」
カノンは持ち上げたカップを静かに置く。
「そうだったのか。本当にすまなかった」
オレは膝の上で手のひらを握りしめた。
「今更だが、順を追って説明させてくれ。これから話す事情はどうあれ、結局はオレがカノンを巻き込んだことに変わりはない。だから非はオレにある。そのつもりで聞いてくれ」
「わかったわ」
表情は落ち着いているが、声に少し緊張が走った。

オレは大きく息を吸い込んだ。
「カノンにとってはあれから2年くらいだと思う。だが、オレはその間、ここではない世界で人に言えないほどの時間を過ごしてきた。だから連絡しようにもできなかったんだ」
彼女は納得してくれるだろうか?
彼女は案の定、首を傾げる。
「人には言えないほどの時間?ここではない世界?なにか突拍子もない話ね。これが他の人なら馬鹿馬鹿しい嘘だって笑い飛ばすところよ。でも、私の知ってるあなたは、そんなでたらめを言う人じゃない。だから本当のことなのかも。もう少し詳しく聞かせてほしいと思うけど、ダメなのかしら?」
「すまない。話せるなら、そうしたい。でも、どうしても言えない事情があるんだ」
言えればどんなにいいか。
でもこれが限界だ。
彼女はオレの苦しい表情を見て察したのか、息を吐くと「仕方がないわね。わかったわ。 ……それで理由は他にもあるの?」
彼女はオレをじっと見つめる。
彼女の視線が辛い。
「ああ、もう一つある」
彼女が聞きたくないだろう理由が。
だが、これだけは誤魔化すことはできない。
「オレはモードゥナに行ってすぐ、ある冒険者と出会った。 彼女は名を知られ始めたばかりでね、一見、普通の女の子と変わらないんだ。けど、戦いの場での肝の据わり具合も真剣な目つきも英雄そのものだった。オレは思わず見惚れてしまったよ」
つい、いつもの調子でリサのことを話してしまった。
彼女を見ると、目を伏せてコーヒーを静かにかき回していた。

気まずい沈黙。
オレの背中に冷たい汗がにじむ。
何か言わないと……オレは必死に言葉を探すが、出てこない。
するとカノンが顔を上げて、オレの代弁をするように言う。
「……つまり、その人がリサさんで。彼女と付き合うことになったのね」
「いや、そうじゃないんだ。その頃はオレが一方的に憧れていただけで、付き合う事になったのはごく最近なんだ」
するとカノンは確信を得たようにオレを射抜くように見た。
「ということは、あれから連絡が間遠になったのは彼女に心を奪われたから。そうなのね?」
彼女には酷だが、認めるしかない。
「ああ、すまないその通りだ。あの時点でちゃんと向き合うべきだった。……本当にごめん」
−−彼女の時間を無駄にした。
こんなにも時間が経つ前に清算すべきだった。
「聞く立場じゃないが、もしかしてオレのこと待っていてくれたのかな?」
彼女は少し遠い目になって「待っていたといえば待っていたけど、同時に諦めてもいたの。だってどんな理由があろうと何の連絡もないなんて、その程度の存在だってことでしょ?心あたりも少しあったし」
「心あたり?」
彼女は自嘲気味に笑って言う。
「私ね、自分で言うのも何だけど、男性の気を引くのは得意なつもりだったの。 彼らときたら私を上目遣いで見たり、猫撫で声で話しかけたり。でもあなたは違った、いつも優しくて飾り気がなくて……だから惹かれたの」
彼女は過去を振り返る。
「付き合ってからもあなたはいい意味でも悪い意味でも変わらなかった。いつかは私に夢中になってくれると期待したけど、そうじゃないって気づいてた」
テラスから吹き込む風が彼女の髪を乱し、表情に一瞬影を落とした。
「……だから連絡が来ないのは必要とされてないからだってわかってたの。ただ、あなたの言うような理由までは予想外でしょ?だから誠実なあなたが、何も言わずに消えたのは不思議だった」
彼女は頬にかかる髪を手で振り払った。
「カノン……」
オレが思い至らない部分でも彼女を苦しめていたのか。
「それで?ごめんなさいで終わりなの?」
彼女はからかうような軽い口調で言う。
「オレには謝ることしかできない。……でも他に何かできることがあれば言ってくれ」
「そうね、じゃあ。今度は本物のデートしてくれる?」
彼女は本気なのか?
「ごめん、オレにはリサがいるからそれはできない」
オレは彼女の目をまっすぐ見て答えた。
「冗談よ。困らせてみたかっただけ」
彼女は愉快そうに笑ったかと思うと、すっと表情を引き締めて「困らせるといえば、私も一つ謝らないといけないことがあるの。昨日リサさんを街で偶然見かけたの。最初は声なんてかけるつもりはなかったのよ」
彼女はコーヒーカップの縁を指でなぞる。
「でもラストスタンドで再会した日のことを思い出してーーあの日、あなたに声をかける前、あなたたちのことをしばらく見てたの。 あなたの彼女を見る熱っぽい目。 −−それで彼女が特別な存在だってすぐにわかった。 あなたはいつも優しかったけど、私をあんなふうに見てくれたことは一度もなかったもの。 だから悔しくてつい……彼女には悪いことをしたわ」
彼女は唇を噛み締めた。
昨夜のリサがあんな風だったのは、やはり彼女の影響もあったのか。
もちろん彼女だけの責任じゃないが。

カノンはテーブルの一点を見つめながら、静かに自分に言い聞かせるように言う。
「認めたくないけど結局、片思いみたいなものね。私は、あなたにとって80点だった。そう思わない?」
「えっ?」オレは思わず息を飲み込んだ。
「80点」……不意にリサの顔が頭に浮かぶが、今はだめだと振り払った。
彼女は少し悲しそうに言葉を継ぐ。
「合格点かもしれないけど、夢中にもなれない相手ってこと」
潮風がまた彼女の髪を乱す。
「そして、あなたが本気になれる人は彼女だった。敵わないわけね」
そこまで言うと彼女は急に口を閉じ、海の方に目を向けた。
ウェイターがコーヒーのおかわりを勧めにやってきたが、オレは静かに断る。
カノンはもうオレを見ず、うつむいて乱れた髪を整えている。
そして、つぶやくように「……でもね、本当に好きだったのよ。だから今日まであなたを忘れずにいた」
彼女はしばらくそのまま顔を上げなかった。
「カノン……」オレには黙って彼女を見守った。
この苦い思いはオレ自身が受け止めなければならないものだ。
店内の賑やかな話し声をよそに、オレたちのテーブルだけが重い空気に包まれていた。

しばらくして、彼女がふと顔を上げ、静かに言う。
「ごめんなさい。でも、もう私は大丈夫。これでやっとあなたのことを思い出にできる。ありがとうと言っておくわ」
彼女はもう迷いのない表情になっていた。
「さよなら、ラハ」彼女は立ち上がる。
「カノン、本当にごめんな。オレも会えてよかった、さよなら」
彼女はもう、いつもの凜とした口調に戻って「そうだ、余計なお世話かもしれないけど一つ忠告しておくわ。あなたは相変わらず誠実な人ね。でもその誠実さが人を傷つけることもあるのよ。あなたは自覚がないみたいだけど」
そう言うと彼女はもう振り返らなかった。
オレは返すべき言葉を持ち合わせていなかった。
人混みに紛れて消えていく彼女をただ見送った。

(……80点)
−−悪くはないけど、選ばれない。
彼女にそんな思いをさせてたのは紛れもなくオレだ。
誠実でいるつもりが、結局、彼女を傷つける結果になった。
オレは何もわかっていなかった。
リサのことだってそうだ。
昨夜の泣き顔が脳裏に浮かぶ。
オレは彼女を失いたくない。
まだ間に合うはずだ。
オレは席から立ち上がり、冷め切ったコーヒーを残し歩き出す。
今度こそちゃんと向き合わなければ、リサの笑顔を必ず取り戻すんだ。


5

嵐みたいな夜が明けて、ぼんやりと過ごしている間に太陽は高く昇った。
ラハは今頃カノンさんに会ってるだろう。
もう、心はざわめかない。
あの苦しい思いが嘘みたいだ。
私、ラハを信じるって言ったけど、信じきれてなかったんだ。
裏切られるのが怖くて誰かのせいにして−−自分の弱さを認めたら、あの激しい嵐は去っていった。

ラハは今どんな気持ちなんだろう?
あんなことがあったんだもの。
どうなろうと、もう覚悟はできている。
とりあえずは、このひどい恰好という現実と向き合おう。

シャワーから出て、鏡を覗き込む。
こっちを見ているのは、いつもの私だ。
何げなく窓の外に目を向けると、すぐ下の道をラハが歩いている。
−−ここに来るんだ。
心臓が大きく一つ跳ねた。
ほどなくしてノックの音がする。
もう逃げてはいけない。私は急いで呼吸を整えた。
「リサ」彼の笑顔と温かい声。
昨晩会ったばかりなのに、ひどく久しぶりのような気がする。
もう涙なんて枯れたはずなのに、泣きそうになる。
昨夜から胸にポッカリと空いた大きな穴が、彼の顔を見た途端に塞がれていく。
私は彼が恋しかったんだ−−自分から手を離そうとしたなんて。
それでいて彼の顔をまともに見るのがまだ怖い。

私はありったけの勇気を振り絞る。
「ラハ、まずは謝らせてくれる?昨日は色々とごめんなさい。私どうかしてた」
声が少し緊張で震えてしまう。
ラハは黙って私の手を取り、カウチまで連れていく。
そこで私を座らせ隣に腰を下ろした。
「リサ、不安だったんだろ?」彼は私の髪を撫でて優しく言う。
「正直言って、昨夜は驚いたよ。だけど気にするな。リサ」
「そういうわけには……」
ラハは静かに遮って「なあ、リサ。終わったんだ。彼女わかってくれたよ。だから、もう引きずらなくていいんだ」
私はラハの顔をやっと正面から見ることができた。
「終わった?彼女は納得してくれたの?ラハはそれでいいの?」
ラハは笑って「最初からそうするって言ったろ?
まさか、昨日のことでオレの気持ちが変わるとでも思ったのか?」
「うん、そうなってもおかしくないと思ってた」
私はこの状況に戸惑っていた。
ラハは引きずるなと言うけど、あんなイヤな思いをさせたのに。
だけど、彼は穏やかな声で言う。
「リサにはオレのせいで辛い思いをさせた。本当にごめん。でも、オレわかったんだ」
彼は少し苦い表情になって「オレはリサのこと、何でも知ってるつもりになってた。でもリサが抱えてるものすべてを理解はしてなかったってことだ。それがわかっただけでも、よかったよ」
「昨日の私に、がっかりしたんじゃない?」
ラハは私の目を見てきっぱり言う「いいや、全然」
「オレさ、前にも言ったけど、最初は最高の英雄であるリサに憧れた。でも、オレが好きになったのは完全無欠の偶像じゃない、人間らしさがあるリサだ」
「ラハ……本当にそう思ってくれるの?」つい確認したくなる臆病な自分が嫌になる。
「リサ、もう無理しなくていい。遠慮せず辛い時は辛いって言っていいんだ。オレはリサが弱さを見せたとしても、がっかりなんてしない」
ラハは私の手を両手で包み込む。
「むしろ嬉しいよ。世界でオレだけがそんなリサを知ってるってことだろ?」
彼は今度は私の頬を両手で包むと「オレはリサが何故、自分は可愛くないなんて言ったのか、わからない。だけど、オレはそうは思わない」
ラハはそう言い切ると「まず、オレはリサの鎧姿が好きだ」
私は思わず「そうなの?」と言ってしまった。
ラハは大きくうなずいて「オレが最初にリサに会った時、鎧姿だっただろ?敵がうじゃうじゃいるところに颯爽と現れてさ……見惚れたよ」
ラハはその時を思い出すように遠い目をする。
「でも女の子らしくないのに」私は小さな声で言う。
彼は聞き逃さず「中身は女の子らしいだろ?優しくて気遣いができて、料理も上手い」
ラハは真顔で「もしかして、リサは外見ばかり気にしてるのか?着飾ったりしなくても十分可愛いのに。オレにとってリサがリサらしくいてくれることが最高、つまり100点満点なんだ」
「ラハ……」
どうしよう、また泣いてしまいそうだ。
ラハは言葉が出ずにいる私を真剣な顔で見つめた。
「それともオレの100点じゃダメか?誰かのつけた80点の方がリサには大事なのか?」
私はにじんでくる涙を堪えて笑顔で即答した。
「そんなことない」今、この瞬間ラハが100点だと言ってくれる。
それ以上のことなんてない。
ラハはそんな私を見て「やっと笑ったな。リサは笑顔が1番可愛い」
可愛い−−言われて嬉しいはずの言葉なのに、顔が熱くなるのが止められない。
ラハ、赤くなってるの、気づいてないといいな。

私はようやく気持ちがほぐれて、体から力が抜けた。
「ラハ、ありがとう。私、またラハに救われてしまったな」
「何度でも救うから、お安い御用だ」ラハは元気が戻った私を嬉しそうに見つめて言う。
「私ね、ラハのそんな優しいとことが好き。さっきのお返しね」少し照れる気持ちを笑顔でごまかした。
「嫌いなとこがないといいんだが……」と彼も照れた様子だ。
「うーん、あるよ。優しすぎるところかな。私以外の女の人には優しくしないでね」
あると聞いて彼は一瞬ギクッとしたようだが、オチを聞いて楽しそうに「了解!」と笑う。
いつもの親密さが戻ってきて、心の底からホッとした。

笑い声が止むと部屋が急に静かになった。
ラハに手を取られたまま、私たちは無言でしばらく見つめあう。
彼の手から伝わる体温が心地いい温もりを与えてくれる。
この安心にずっと包まれていたい……
そして私は昨日のラハの言葉を思い出している。
「あの……さ、ラハ、昨日「タイミング」の話してたよね?」
彼は何のことか、すぐにピンときたらしい「……ああ」
「その「タイミング」って今……かも」私は言いながらまた頬が火照るのがわかった。
「えっ!」彼も少し顔が赤らんで見える。
「昨日の私は安心しようとしてラハを求めた。でも今は違う。安心してるから、ラハを心から信じられるから、そうしたい」
「本気か?」ラハの声が少し緊張気味に聞こえた。
私はうなずいた。もう限界だ。言葉にすればするほど恥ずかしさが増してきた。
「わかった、「やっぱり無理」はなしで!」そう言って彼は私を抱き上げベッドに向かう。
私は彼の温かい腕の中で、安心して目を閉じた。不安なんかどこにもない。


エピローグ

夜通し続いた心地いい温もりが、今も私を包んでいる。
うーん、もう少しだけこのままでいたい。
その時、何かが静かに動く気配がした。
重い瞼をそっと持ち上げる。
目を開けると視界いっぱいにラハの紅い瞳が映った。
「お……はよう」まだ頭がスッキリしない。
「どうしたの?ラハ」
彼は少しはにかんだように「おはよう、寝顔を見てたんだ。夢じゃないんだなと思ってさ」
私は起き上がろうとして、冷たい空気が肌に触れる違和感で気がついた。
−−何も身につけてない!
小さく悲鳴を上げて、毛布の下に潜り込む。
確かにこれは夢じゃないな。
ラハは少し赤面しながら「あ、ごめん……」と言って逃げるようにベッドから降りた。
ずるい、もう服着てるじゃない、胸の内でつぶやく。
「オレ、朝飯の用意するよ。その間に身繕いするといい」
彼は、ちょっと照れた表情で「でも、あんまりゆっくりだと身の「安全」は保証できないかもしれないぞ」そう言うとキッチンに姿を消した。

服を着て鏡を覗き込んでいると、コーヒーのいい香りが漂ってくる。
ラハが私を呼ぶ声が聞こえた。
私たちは朝の光が差し込むテーブルで向かい合う。
そういえば、朝食を一緒に食べるのは初めてだ。
用意してくれたサンドウィッチを一口食べる。
「あ、これ……」この味に覚えがある、懐かしい記憶が蘇ってくる。
「ん?」ラハが怪訝そうにする。
「これ、すごく美味しい。やっぱりあの時の、ラハが作ってくれたんだね」
ちょっと感激してしまった。
「あの時?」
ラハは覚えていないのかな?
「ほら、第一世界で差し入れしてくれたでしょ?」
ラハは少し笑って「あ、あれか。覚えてたのか。でもオレこれしか作れないんだよな」
「すごく美味しいよ、毎日食べてもいいくらい」
彼は褒められて嬉しかったのか「よーし、次のご褒美はこれだな」
え?ご褒美?「えーと、何の?」
「オレと朝まで過ごしたら、美味しい朝食が付いてくる。悪くないだろ?」
得意そうに言うのが何だか、可愛い。
「うーん、考えとくね」私はいたずらっぽく返す。
「なんだよ、それ」
ラハの抗議の声を聞きながら、私は確信した。今日は楽しい一日になりそう。

END